2017年 日本アルプス縦走・10、11日目~南アルプス荒川岳と赤石岳、そして太平洋へ~
10日目、午前3時頃起床。
できればこの日のうちに南アルプスから下山したかったので、少し早めに起きました。
食料が残り少なくなり、また台風が接近してきていることもあり2、3日以内にゴールである大浜海岸までたどり着きたいところでした。
前日は三伏峠止まりであまり歩かなかったおかげか体調はやや回復し、10日目の午前中までは天気は安定しそうという両俣小屋の女将さんの言葉を信じて午前4時過ぎには出発しました。
荒川岳を目指して縦走開始
夜明け前の暗闇と濃い霧の中、三伏峠からハイマツが茂る高山帯の道をひたすら登りました。
朝からこの濃い霧だと今日も天気はよくなさそうな予感がしました。
30分も登るとやや開けた場所に烏帽子岳の標識がありました。
何も見えなかったので休まずに通過。
烏帽子岳を過ぎて次のピークである小河内岳へ向かう途中で夜が明け、徐々に霧に包まれた登山道が明るくなってきました。
三伏峠から一貫してハイマツに覆われた高山帯の道。天気が良い時に昼間歩いたら展望がよさそうだなぁ。
そう思いながら、ペースを上げてひたすら歩きました。
三伏峠~荒川岳の縦走路を歩く人がどれくらいいるかわかりませんが、高山帯の気持ちよい区間が多いのでもっと人気が出てよいとも思いました。
天気が良ければ縦走路から百名山の塩見岳や荒川岳もよく見えることでしょう。
少しアップダウンの多い縦走路なのと、縦走路中に小屋と水場が少ないこと、登山口までのアプローチに時間がかかることがネックでしょう。
烏帽子岳からさらに登山道を登っていくと、黄色の看板が立つ分岐に着きました。
看板には小河内避難小屋の食事メニューが書いてありました。カレー丼1,000円、ラーメン700円などなど。
エネルギー不足だったので寄りたい気持ちに駆られましたが、時間に余裕がなかったのでスルー。また、小屋自体も尾根から少し離れた場所にあるので、寄らずに通り過ぎました。
小河内岳に到着
分岐から少し登ると、午前5時半頃、ややガレた小河内岳の山頂に到着しました。
標高は2,802 mと意外にも高いです。ここでも良い眺めは得られず。雨が降らなければマシかと開き直ることにしました。
実はつらいのはここから先で、高山裏避難小屋まで下った後、荒川岳に登り返します。高山裏避難小屋の標高は約2,400 mほどで、荒川岳は標高3,000 mを越えるので、この標高差はきついです。
標高差にして400 m下ったあと700 m登り返すのは、今日の第一関門。
休憩した後、気を引き締めて小河内岳を後にしました。
荒川岳へ、下って登り返す
小河内岳からハイマツの道を下っていき、標高が下がるにつれて樹木が茂る道になっていきます。
ところどころ霧が晴れそうになって、一瞬霧が消えたと思うとまた霧に包まれる、そんな不安定な天気でした。
一瞬だけ晴れて向こうに荒川岳の最高峰、悪沢岳がチラッと見えました。
悪沢岳はメインの縦走路から少し離れており、今回は登頂は見送り。
写真を見ると悪沢岳の上には青空が広がっています。でも、縦走路には常に霧がかかっています。
後から天気予報なども見て気づいたのですが、静岡県と長野県を隔てるこの縦走路の尾根が天気の良し悪しの境目だったようです。
静岡県の天気は晴天、しかし長野県の天気は曇りと雨だったので、ちょうどその中間部を歩いているようでした。
そして、この日の午後は長野県側の雨雲が南アルプスを覆うのでした、、、。
樹林帯の道を登り降りし、板屋岳などのピークを過ぎ、右側に大きな崩壊地を見ると高山裏避難小屋が近いです。
高山裏避難小屋あたりの樹林帯は、南アルプス特有の深い針葉樹林帯といった雰囲気で、景色に変化が少ないのでやや退屈な区間です。
歩いていると草原のような場所に出て、すぐ下に赤い屋根の高山裏避難小屋が見えました。
高山裏避難小屋、ここから一気に荒川岳へ登り返し
午前8時前に高山裏避難小屋へ到着。ペースは概ね予定通りで、このまま行けばお昼には赤石岳を越えられそうと思っていました。
この頃から少し霧が晴れて曇天といった感じの天気になりました。
高山裏避難小屋は、三伏峠から荒川岳の縦走路の小屋として重要な場所にあります。小屋からは少し遠いですが、この縦走路で唯一の水場もあります。
休憩をとって標高差700 mを登るべく気合いを入れて出発しました。
荒川岳への登りは、荒川中岳の北面にあるカール状の地形へと緩やかに登っていき、カールに着いたら一気に山頂まで直登するコースです。
カールは樹林帯とガレ場の急な登りで、ここがきつい所でしょう。
ちょうどカールの樹林帯の登りに差し掛かったところで、雨が降り始めました。
まだお昼にもなっていないのにゲリラ豪雨的に強い雨が降り始めたので、落胆するも、すぐにレインウェアに着替えました。
雨はザアザアと降り始め、山頂近くに着く頃には雷までなり始めました。
豪雨はまだしも雷はさすがにまずいので、どこかで停滞してやり過ごそうかとも思いましたが、すでにカールの上部のガレ場まで来ていて遮蔽物が一切ない状態でした。
カールを引き返して下ることも考えましたが、山頂近かったので山頂を猛スピードで越えて向こう側まで下ることにしました。
向こう側にはすぐ荒川小屋があるので、そこで一時停滞することにしました。
荒川中岳登頂
9時半頃、荒川中岳に登頂。
淡々と書きましたが、当時はかなり慌てていました。
自分の真上にすぐ雷雲があることは明白で、もし雷が落ちたら誰かに真っ先に当たるんだろうと思いました (近くには他の登山者が2、3人いらっしゃっいました)。
慌てつつも山頂標識の写真を一瞬撮り、下る方向を間違えないようにしながら荒川小屋へと下りました。
雷が鳴り始めてからは走りながら猛スピードで荒川小屋へ向かいました。
もう一人、トレイルランナー装備のお兄ちゃんが近くを走っていましたが、彼も急いで荒川小屋へと避難しようとしていました。
悪天候で雲がかかったりしながらも、堂々とした姿の赤石岳は見ごたえがありました。
また、赤石岳に雷雲がかかったり消えたりしているのを見て、今日は赤石岳を越えるのは無理かなとも感じさせられました (赤石岳を越えないと下山できない・先にも進めない状況でした)。
荒川小屋でしばし停滞
赤石岳が見えるようになると、赤石岳の右下に赤い屋根の荒川小屋が見えました。
何とかあそこまでたどり着いて休もうと思い、土砂降りの荒天の中、フルスピードで下りました。
午前10時半頃、荒川小屋へ到着しました。
小屋に入り、全身びしょ濡れになって寒気がする身体を休めました。
また、お昼ご飯にはやや早い時間でしたが、ここでいただきました。
メニューは、カレーとホットミルク。
カレーでエネルギーを補給し、温かいミルクで冷えた身体を温めました。
荒川小屋では雷雲が過ぎ去るまで2時間ほど停滞しました。
風と雨はまだしも、雷は当たると即死の可能性もあるため、雷が遠くに行ってから念のためもう少し様子を見ていました。
荒川小屋で停滞していた時、荒川中岳山頂にいたトレイルランの恰好のお兄さんと話す機会がありました。
「山頂にいた人ですよね」
「雷に当たりかけた」
など平凡な会話から始まり、彼も日本アルプス縦走に興味があるようで、ギアの話などで盛り上がりました。
彼は北岳から入山し、昨日は三伏峠に泊まって、翌日は上河内岳まで縦走して畑薙ダムに下るという計画でした。
「速いですね」
と僕が言うと、
「いや、あんたもおかしいでしょ(笑)」
などなど。
12時半ごろ、雷音もならなくなって時間がたったので、僕は先へ向けて再出発することにしました。
お兄さんは、この日は荒川小屋にこのまま宿泊し、翌日赤石岳、聖岳、上河内岳と越えて畑薙ダムへ降りるそう。
別れる時に最後にお兄さんから、
「あんたの脚なら太平洋まで行ける」
と言われたのが励みになりました。今でもはっきり覚えています。
もう少し話をしたい名残惜しい気持ちもありましたが、山登りを続けていればまたいつか会うこともあると信じて、赤石岳を目指して出発しました。
赤石岳を目指して再出発
赤石岳へは、大聖寺平という平らな場所まで緩やかに登っていき、大聖寺平から山頂へ一気に登ります。
7月くらいまでは雪渓が残る大聖寺平への斜面をトラバースすると、岩が多い大聖寺平に着きます。
大聖寺平からは岩が混じるザレた斜面を頑張って登ると、赤石岳手前の小赤石岳に着きます。
小赤石岳に到着!
14時前に小赤石岳の山頂に到着。小が付きますが、小赤石岳でも標高は3,081 mあります。
この日は停滞してしまったので、このまま縦走すると常識的に行けば本日は百間洞山の家止まり、次の小屋である聖平小屋へは到着したとしても夜遅くになってしまいます。
縦走した場合、日数が余計にかかり台風が来てしまうことを考えて、今回は上河内岳まで縦走するのを諦め、途中で山から降りて太平洋まで行くことにしました。
赤石岳自体も小赤石岳から少し離れているので、もうここから下山することに決めました。
南アルプスから下山
もう少し南アルプスの山を登りたい気持ちもありましたが、小赤石岳から登山口の椹島 (さわらじま)へ下山開始しました。
小赤石岳を出たのが14時頃。後は下山して太平洋まで延々と続く舗装路を歩くのみ。何時頃に着けるかな、太平洋到着はできれば昼間がいいな、などと考えながら下山しました。
椹島への登山道は、小赤石岳の近くはハイマツか草本が映える見晴らしの良い高山帯です。
そこから少し下るとダケカンバなど、高標高に生える広葉樹が出てきて樹林帯になっていきます。
標高がかなり高いはずなのに樹林帯がよく発達するのは、南アルプスならではでしょう。
ひたすら斜面をトラバースしながら下っていきます。
標高を下げていくにしたがって、徐々に霧が晴れてきました。
濃霧がかかっていたのは高標高の場所だけであって、静岡県側は天気が悪くないようでした。
天気も良くなってきて足取りも快適になり、スピードを上げて椹島を目指して下りました。
樹林帯を下っていくと、木の背丈が低くなり、岩がゴロゴロした場所に出ました。
そこには、富士見平と書かれた標識が立っていました。
地名からしても眺めがよさそうな場所。
ただ、この日はあいにくの天気で周りの山は雲に包まれていました。
登山者がいなかったからか、岩の上にオコジョがちょろっと出てきてくれましたが、カメラで撮る前にヒュッとすぐに消えてしまいました。
富士見平からさらに下ると、ほどなくして真新しい見た目の赤石小屋が見えてきました。
今日は悪天候のためかひとっ気がなくシーンと静まり返っていましたが、キレイな小屋でいつか泊まりに来たいと思いました。
いち早く太平洋まで行きたかったので、赤石小屋では休まずに下り続けました。
赤石小屋を過ぎると亜高山帯の針葉樹林に入り、湿っぽい急な尾根道をひたすら下ります。
南アルプスは深い樹林帯の道が長いですね。南アルプスの南部はアクセスが今でも悪いせいか、大木が林立する森が多く見事なものです。
針葉樹林の道を下っていくと、標高が下がるにつれて徐々に広葉樹が混じり始めます。
そして、標高も1,500 mを切ってくると、森が広葉樹が主体に切り替わり、登山口である椹島が近づきます。
南アルプス南部の広葉樹の森は樹齢が古い木が多く、見事な大木があちらこちらに生えている場所もあります。
落ち葉がフカフカに積もるシーンと静まり返った森は、荘厳な自然を感じさせます。
さて、そんな森を下っていき、最後にハシゴを降りると、大井川沿いの砂利道の東俣林道に出ます。
林道合流点には赤石岳の登山口を示す標識が立っていて、ここから砂利道を10分も進むと、椹島ロッジとキャンプ場に着きます。
椹島で早めの夕食を食べてしまおうと、急ぎ足で椹島に向かいました。
登山口の椹島に到着!
椹島は、大井川の山深いの渓谷の標高1,100 mに場所にある登山基地です。
周りを標高2,000 m後半から3,000 mの南アルプスの山々に囲まれた静かな場所です。
椹島へはマイカーでは行くことはできず、椹島の宿泊施設に宿泊予約をして畑薙ダムから専用のバスで来るか、畑薙ダムから何時間もかけて歩いてくるか、はたまた長野県か山梨県から南アルプスの山を越えてくるしかありません。
夏季の登山シーズンでも人が少なめで、静かにゆっくり過ごせます。
キャンプ場利用者だと椹島への専用バスを使えないので、ワンゲル部では重い荷物を背負って畑薙ダムから砂利道を1日かけて歩いてくるのが普通でした。
椹島からさらに大井川を奥に行った場所に二軒小屋というロッジもあり、こちらもアプローチが悪いですが静かでよいところです。
説明はさておき、17時頃に椹島についてすぐにロッジに入って夕食を頼みました。確か頼んだメニューはカレー。
人がまばらなロッジで、自然に囲まれながらご飯を食べることにささやかな幸せを感じます。こういう時間も山登りの醍醐味なので、ゆっくりと楽しみました。
椹島から太平洋の大浜海岸への道のり
カレーを食べ終わり、休みながらこの先の道のりについて整理しました。
ここまでくれば至ってシンプルで、太平洋まで砂利道と舗装路を歩いて行くだけなのですが、半分くらいは夜間の暗いうちに歩くので、峠を一回越えるのと所々の分岐点を間違えないようチェックしました。
椹島から太平洋への道のりは約100 kmで、椹島から20 kmほど砂利道を歩いて畑薙ダムへ到着、畑薙ダムから井川集落へ下り、そこから富士見峠を越えて安倍川流域に入り、最後は安倍川沿いに太平洋まで歩きます。
疲れているとはいえ荷物はすでに軽く、舗装路なら1時間に5、6 kmは歩けると見て、ぶっ通しで歩くと休憩入れて20~23時間はかかるかなと予想しました。
問題は、近くにコンビニはおろか自販機も少ないので栄養補給や水分が心配でしたが、最低限の食料は持っていて、夜間で気温が低いから大丈夫そうと信じました。
1時間ほど椹島で休み、18時頃に太平洋大浜海岸へ向かって出発しました。
上記の写真を撮ったのがおよそ18時半で、この後すぐに日が暮れてしまったので、実はここからほぼ写真を撮っていません。
暗闇を歩いている時間は暗い写真しか取れないのでとってないのと、夜が明けてからはあまりのつらさにゴールするまで写真を撮る余裕がありませんでした (苦笑)。
椹島に着いた時点では奇跡的に筋肉痛もなく、疲労感を感じるだけだったのですが、畑薙ダムを越えたあたりから (22時以降)が非常につらかったです。
一歩一歩歩くごとに、脚の指を硬い物にぶつけた時のような痛みが足底部全体に伝わり、暗闇の中を歩いていたこともあって歩いている時の記憶があまりありません (真っ暗な林道を歩いていたのは覚えています)。
この太平洋までの最後の舗装路歩きが、これまでの人生の山登りの中で最もきつく感じました。また、記憶が曖昧なのも初めてのことでした。
深夜の内に井川集落へ下って富士見峠へ登り返し、富士見峠から下っていく途中で夜明けになりました。
夜が明けても、寝不足なのか疲労なのかよくわからないつらさがつきまとい、しかし、足を止めたらもう歩くのが嫌になりそうだったので、1時間に5分ほどの休み以外はなるべくとらないようにしていました。
途中でたまに現れる自販機でコーラを買って一休みするのだけが唯一の息抜き。
「なんでこんなことをやっているんだろう?」
そう思わないこともなかったですが、この時はあまりのつらさにとっとと歩いてゴールして休みたい気持ちでした。
最後の11日目、朝からカラッと晴れた青空が広がり、「今日山に登りたかったなぁ」と思いながらも必死に舗装路を歩いていました。
安倍川流域に入り、山間の集落を下って安倍川の本流沿いの舗装路に合流すれば太平洋までもう少し、、、といっても20 kmくらいはあったイメージですが。
安倍川本流沿いになってやっと駒ヶ根駅以来のコンビニが見え始め、徐々に街が賑やかになっていくとJRの静岡駅付近に着きます。
静岡駅から海岸までも意外と距離があり、1時間くらいかかった記憶があります。
住宅街の細道をよたよたになりながら歩いて行くと、徐々に海風と潮の匂いを感じるようになりました。
「太平洋までもう少し」そう思い続けながら歩いて、住宅が途切れて砂浜が見えた時には涙が出そうでした (実際に出ていたかもしれない、それほどつらかった)。
静岡県大浜海岸にゴール!!!
8月9日の12時半に富山県の日本海・早月川河口からスタートし、8月19日の16時に静岡県の太平洋・大浜海岸にゴールしました。
夏の日の晴れた青い空と穏やかな青い海。
初日から土砂降りで、縦走していた日も半分くらいは悪天候でしたが、最後よければすべてよし。そう思えるようなゴールでした。
かかった時間は約11日間、距離は約400 km、累積標高差はおそらく±20,000 mほど。
海から海へ、景色の変化も伴いながら一つなぎで自分の脚で歩いてきた感覚は、何とも言えない不思議なものでした。日本が島であることを自分の身体感覚で理解する、、、あえて表現
ザックを降ろして、海岸でしばしボーっと見とれていました。
もう歩かなくていいんだという気持ちでした。
ほんの10分前までは歯を食いしばって必死に歩いていましたが、気持ちが一気に楽になりました。
あまり人がいないまばらな海岸で、記念撮影してもらうために地元の人に声をかけて写真を撮ってもらいました (ひげ面の不審者が声をかけてごめんなさい)。
海岸には結局1時間もいなかったと思います。真夏の昼間だったので、長時間いるのがつらいということもありました。
疲れていたので、風呂に入ってご飯を食べて心ゆくまで寝たいという気持ちが勝り、海岸を後にしてバスで静岡駅に向かい、静岡駅からは新幹線で無事に帰宅しました。
振り返ってみると、極限まで忍耐力が要求されるという意味では、これほどつらいことは中々なく、これからもこれよりつらいことはそうそうないと思わされました。
ゴールした直後はもう二度とやりたくないという気持ちもありましたが、やりたかったことを実現できたことは嬉しく、途中何度も諦めそうになったけども「もう少しだけ」「行けるとこまで行ってみよう」と粘った甲斐がありました。
同じルートを走るレースであるTJARの完走者達が、自分との闘いになると口々に言っていたのもうなづけます。
達成して時間がたってから、諦めないでやってよかったと実感できるようになりました。
後書き
実は、2017年に達成する前に、2016年にチャレンジして失敗をしています (その時は駒ヶ根でリタイヤ)。
後日談として、2016年に失敗した時の話と、失敗から達成まで色々な試行錯誤があったことを記録として残そうと思います。
日本アルプス縦走にチャレンジされる人はあまり多くないと思いますが、この失敗と試行錯誤の内容が、チャレンジされる方にとっては意味があると信じています。
長々と長期間に渡って書きましたが、長い話を読んで頂いた方ありがとうございました。